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 仕事始めが1月8日からなのを良いことに、朝の7時に寝て18時頃に起きるという生活をもう10日ほど続けている。当初の予定ではどこか遠い場所へ旅行に行くつもりだったが、諸般の事情で断念してしまった。部屋から出ることも殆どなく、もちろん家からは全く出ていない。

 仕事を始めてから部屋の中は荒れ始めた。山のように積み重なった書類や、床を敷き詰める衣服、食べたあとのカップ麺や綺麗に並べられた空き缶、空き瓶。あまり丸一日の休みがない仕事だからそれを言い訳にして、休みができたら片付けようと考えていた。12連休も終わりを迎えようとするころ、部屋は相変わらず悲惨なままで、ふと我に返った瞬間激しい嫌悪と憂いに包まれる。

 休みの間にやりたいことがたくさんあったのに何もできなかった。しなかったのではなくできなかった。自分はまとまった時間を与えられると途端になにもできなくなる。

 ただ一晩中、ベッドに寝転がってぼんやりしていた。

 

 部屋のあらゆる場所に、埃が積もり始めていることを僕は知っている。だけど、自分にはもうそれをどうにかする力がないような気がしている。訪れるものに対して抗う力を失くしてしまったのだろう。徐々に荒れゆく部屋のように、徐々に降り積もる埃のように、ただ何もできないままに破綻へと流れてゆくように思われる。

 「ぼんやりした不安」という言葉はどうして僕たちを捕らえて放さないのだろう。このまま時が流れても、何もかもが好転しないまま静かに確実に沈んでゆくに違いない。エアコンの音だけが静かに響く六畳間でそんなことを想うとき、逃げることすらできない自分は、もういっそのこと発狂してしまいたくなる。