夏と死と冬と生

 雨が降るごとに少しずつ涼しくなって、気付けば鈴虫が鳴いている。昼に歩いた並木道にはアブラゼミの亡骸が転がっていた。

 7月。梅雨の晴れ間に覗く青空を見つめて、これから起こる"何か"に胸を膨らませていた僕は、結局何も成さないまま今日も暗い部屋でモニタを眺めている。8月の空は何もかもを吸い込んでしまいそうな青さで、あの空の下でなら何だって出来るような気がしたのに。

 

 これから秋になる。全てが死にゆく季節にも関わらず僕が少しホッとしているのは、秋や冬が「死に最も近い季節」ではないからだ。死は、夏に最も近くなる。

 8月の焼け付く太陽の下で、めまぐるしく繰り返される生命の連なり。むせかえるほど濃密に絡みつく生の裏側には、べっとりと死が付着している。光が強ければ影も濃くなる。絵の具のように濃い緑や、周囲を圧倒する蝉の声は、生命の叫びであると同時に死の希求でもある。

 日本ではそれに加えて「お盆」とか「終戦」とかいうワードが重なって、より一層死の気配が濃くなる。戦争なんて冬もやっていたはずなのに、僕たちはどうしても夏を想像してしまう。夏は「死が向こうから近づいてくる季節」だと思う。

 秋や冬は少し違っていて、いわば「こちらが死に向かってゆく」季節だ。夏は、僕たちに"死"が迫ってくる。冬は、僕たちが"死"に迫ってゆく。僕にとって恐ろしいのはやっぱり夏で、少し気を抜くとあっという間にあちらの世界へ引きずり込まれてしまうんじゃないかという気分になる。夏が終わるのはどこか寂しい。だけど、これでもう死に怯える必要はなくなる。

 

 冬は好きだ。圧倒的な死が世界を包むからこそ、一抹の生がこの上ない安心を与えてくれる。意外なほど暖かい他人の手や、首元を優しく包むマフラーが愛おしくて仕方がない。いずれ鈴虫の声も途絶え、草木は枯れ、冷気が肌を切りつけるようになる。そんな暗闇の中で小さく丸まって暖かい欠片を抱きしめる。そんな冬が待ち遠しい。