路上の土

 あのバス事故が起きて既に半月ほど経っただろうか。半月の間に世間の関心は二転三転し、もはやあの事故は忘れられようとしている。

 だけど、僕の中には未だ深い爪痕が残り、時々ズキズキと痛む。あれは、この数ヶ月で最も衝撃が大きい事件だったと言っていい。

 

 本当に正直に言うと、早稲田の大学生が亡くなってしまったとかそういうことはわりとどうでもいい。関係のない人だから。僕が過剰に反応したのは、世間の反応だった。

 テレビでは連日『前途ある若者』の死を悼んだ。インターネットでもこぞって「ご冥福をお祈り」して「年寄りが若者を殺した」なんて言葉が踊った。みんなが言いようのない怒りとやるせなさを感じているようだった。一方で一部にはテレビなどにおける『若者』の取り上げ方に違和感を覚え、異議を唱える声もあったようだ。

 僕も、そこがすごく引っかかった。大手企業に内定が決まっていなければ、その死に嘆く価値はないのか。『前途ない若者』であれば死んでも良かったのか。例えばあれが、高齢者のバスツアーや日雇い労働者の送迎バスだったなら?人々の反応はどうだっただろうか。

 

 あれ以来、僕の頭では常に『前途ある若者』という言葉が巡っている。前途ある若者と命の価値。平等な死。