ぼっちとは悪か

 そろそろ新歓シーズンも終わりだろうか。

 3限後や4限後の学校内には、様々な部活・サークルのジャージを着た人々が溢れていて、新歓の呼び込みに勤しんでいた。その呼び込みの中で、ひとつ気になるものがあった。

 たぶんアメフト部だったと思うんだけど

「この時期に新歓に行っておかないと、ひとりで昼ご飯食べることになっちゃうよ~」

なんてことをメガホンで喋っていた。

 

 はたして、本当に「ぼっち」は悪なのだろうか。ちなみに、僕は1年生の始めこそ数人で昼ご飯を食べたりしていたけど、今じゃ専らひとりで食べているから、あのアメフト部の人々からは蔑まれるべき存在なのだろう。

 僕はずっと「ぼっち=悪」なんて図式に捕らわれているのは1年生くらいなものだと思っていた。あのアメフト部の人も、1年生のそうした考え方を利用して新歓を進めるためにああいった言葉を使ったのかもしれない。だけど、そうでなかったら。

 もし、中高大とずっと部活に所属していたのなら彼らはぼっちになる機会がなかったということになる。部活は一定の自由を奪う代わりに居場所を保証してくれるからだ。そうした環境でずっと育ってきたのなら「ぼっち=悪」と考えてもおかしくないかもしれない。

 

 ぼっちが悪いものだという考え方は、自分がぼっちになることを恐れている裏返しであるとも言える。しかしそもそも体育会系における人間関係は高校のクラスなんかと同じで、集団生活への依存から始まる部分が大きいのだが。