雨の日に咲く花

 雨のホームに電車が滑り込んできた。人々がまるで家畜のように、ひょっとしたら家畜より酷い環境に詰め込まれて運ばれる。濡れた人々が電車の窓を白く曇らせて、それを見るたびに僕は、人間もまた動物の一種類であると知る。

 僕はスーツを着るとき、靴下、ワイシャツ、ズボンの順で身に着けてゆく。その途中で発生する、靴下とワイシャツだけの姿がどうしようもなく情けなくて嫌いだ。この社会で生きることの惨めさが、あの姿に全て詰め込まれているような気がする。
皆が偉そうに着ているスーツの下にあの情けない姿が隠されているのかと考えると、なんとも馬鹿らしい気分になる。僕たちを取り巻いているものは、きっとそのほとんどがインチキだ。本当に大切なものは、目に見えない。

 電車のドアが開いた瞬間はいつも「ウッ」と身構えてしまう。自分もこの一員にならなければならないのだ。無表情で電車に乗り込み、人の流れに身を委ねて、無抵抗に輸送されてゆく。車内は濡れた人間の臭いが充満していて、それはアジアの薄汚れた路地裏のどれよりも臭かった。
 南京虫が大量にいる最悪の宿で出会った、まるでヒッピーの再来のようなイスラエル人。彼はきっと、今の僕を見ての頭がおかしくなったと言うだろう。黒い服を着て、みみっちい鞄を手に持って、毎日同じ時間に同じ電車に乗る。
 彼の口癖は"crazy!"だった。

 crazyな社会で平静を保つため、僕たちは常に狂っていなければならない。その狂気はきっと、自分の最も大切なものを守るための狂気だ。ワイシャツと靴下だけを身に着けた、惨めな姿。

 電車から見えるビル群は薄暗い沈黙に沈んでいた。後ろの男のリュックサックがしきりに僕の腕に当たる。隣に立つ男が口を覆わないままに激しい咳をした。向こうの方で電話の着信音が鳴って、みんなが訝しげに一瞥する。僕はじっと動かないまま目を瞑って、今この瞬間に、遠くどこかの大地で人知れず咲いている一輪の花を想像した。