少年性が死ぬ前に

 電車で、前に座っていた女子高生がチュッパチャプスを咥えていた。僕はそれを見て「あ、いつの間にか自分の少年性が死にかかっている」と危機感を覚えた。

 

 幼い頃、チュッパチャプスは夢のキャンディだった。あのカラフルな包み紙の中には単なる飴玉以上の幸せが詰まっているように感じられた。家に帰ってテーブルの上にチュッパチャプスがあるととても嬉しかったし、時々どこかのお店で見掛けたチュッパチャプスツリーなんかには、どうしようもなくときめいていたんだ。

 それが今はどうだ。相変わらず飴は好きだけれど、手に取るのは袋に入った飴ばかり。棒付き飴なんてもう長い間食べていないし、食べようという発想すらなかった。きっと今だって僕がスーパーのお菓子売り場に行くとき、それはそこに存在しているはずなんだ。だけど、もう目に入っていなかったようだ。

 僕はいつの間にか、少年の心を無くしてしまっていた。そりゃ確かに「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」的なものは未だに好きだし、自分から求めていたりもする。だけど、そういうものは一種の「作られた男の子像」であり、僕はそういう"いわゆる"男の子的なものを求めることによって「自分はまだ男の子の心を忘れていない」と安心していただけに過ぎなかった。本当の少年性とはそんなものじゃないはずだ。

 

 チュッパチャプスを咥える女子高生は、ひとりの少年を死の淵から救ったのだ。電車を降りて、最寄りのスーパーまで歩いて向かう。自転車でやってくる地元のおばあちゃんがメインターゲットという大したことのないスーパーだが、お菓子売り場の一番下の棚にそれはあった。僕はチュッパチャプス3つとアンパンマングミとマミーを買って、チュッパチャプスを咥えながら家に帰った。