ネット上では本性を現わすハードルが下がる

 時々「怒らなさそう」とか言われたりするんだけど、そんなことはない。実際のところ、僕は全てのことに対して憤っている。電車で中途半端な位置に座っている人であったり、人混みでよそ見をしながら歩いてぶつかりそうになる人であったり、空いている教室なのに何故か僕の後ろの席に座る人であったり、そうしたもの全てに憤っているし、心の中で悪態を吐いている。完全に自分に非がある場合でも、自分の思い通りにならなかった場合は本当にイライラしているんだ。

 ここでは「自分の思い通りにならないこと」というのが重要なポイントだと思う。世の中は思い通りにならないことだらけだ。どんなに願っても石油王にはなれないし、マハラジャにもなれない。それどころか単位は落とすし、彼女もできない。自分のことさえ思い通りにならないから、他人のことなら尚更だ。あいつの考え方が気にくわない。態度が腹立たしい。実際はそんなことだらけだ。

 「自分の思い通りにならない他人」と、どう付き合ってゆくかということは大きなテーマだ。まぁ大抵はそこそこのところで折り合いを付けているし、だからこそ「あんまり怒らなさそうだね」なんてこの僕が言われたりする。自分ではかなり顔や態度に出ているつもりなんだけど、それでもさすがにスマートフォンを触りながら歩いている人にいきなり「前を見て歩け!」なんて怒鳴ったりはしない。

 

 でも、不思議なことに、インターネット上にはそうした「自分の思い通りにならない他人」に対して一言言わないと気が済まない人がたくさんいる。僕だってそうだ。「『「自分の思い通りにならない他人』に対して一言言わないと気が済まない人」に対して一言言わないと気が済まないからこんな文章を書いているんだ。

 ネットで一言言いたがる人には二種類あると思っている。ひとつはこの文章のような「本人のいないところでグチグチ言う、陰口タイプ」。もう一つは「本人に対して直接殴りかかる、戦闘タイプ」。僕の見る限り、戦闘タイプがネット上にはやたらと多い。彼らは自分の価値観と合わないものを否定し、批判する。時には「正義」という大義名分を背負って、相手に殴りかかる。(その場合の正義は、しばしば攻撃者本人にとっての正義だ)

 僕は正直この社会が恐い。インターネットというフィルターを通すことによって見えてくる人間の攻撃性が恐い。ネット上ではしばしば"第二の人格"が立ち現れるけれど、その人格はしばしば攻撃性に満ちあふれている。目の前に座っているおじさんが、ネット上では言葉のナイフで人を刺す通り魔かもしれないんだ。

 「自分とは異なる価値観」を受け入れることは大切だと教わってきたし、世間にはそういった言葉が溢れている。多くの人が「それは尤もなことだ」なんて理解を示したような顔をしている。でも、実際は違うんだ。対外的には「他人の価値観を受け入れることが大切だということはよくわかっているし、私はそのようにしています」みたいなポーズを取っているけれど、心のどこかに他の価値観を許容できない思いが存在していたりするんだ。

 これはもう仕方がないことだと思う。だって人間だもの。自分と他人は全く違う存在だもの。大切なのは「分かり合えない存在であるということを知る」ということなんじゃないかな。「自分とは違う価値観を受け入れる」というのは自身と他者をある程度一致させるという行為だけど、それは想像以上に難しい。

 自分とあいつは違う、というふうに一線引くことができれば、正義を振りかざして相手を自分色に染めようとすることも減るんじゃないかな。