死にゆくものこそ美しい

 オハイオのコロンバスから来たシティ・ボーイふたりは高校のフットボール選手で、ガムをくちゃくちゃと噛み、ウィンクをし、風に吹かれながら歌をうたっていた。この夏はアメリカをヒッチハイクしてまわるんだ、と言った。「LAに行くんだ!」と声をはりあげた。

「なにしに?」

「知らないよ、そんなこと、どうだっていい」

ジャック・ケルアックオン・ザ・ロード』より

 

  僕たちはしばしば「未来に対して最善の行動を取らなければならない」という強迫観念に駆られる。行動には何かしらの良い意味を伴っていなければならないし、「知らないよ、そんなこと、どうだっていい」なんて口にした日は愚か者の烙印を押されかねない。

 でも僕はこうした刹那的な生き方がたまらなく愛おしい。美しいとさえ感じる。それは例えるのなら桜の花びらが散るような美しさで、そこには儚さがある。はっきり言って、刹那主義は常に危うさと共にある。一見華やかに見えるその裏では確実に崩壊が始まっていて、破滅への道を歩んでいると言ってもいい。でもだからこそ美しい。

 たぶん日本人は破滅の美しさが好きだと思う。少なくとも江戸時代とかの人はそうだったと思う。近松門左衛門は心中物をたくさん書いたけど、あれだって破滅の美しさだと思う。愛を頼みに破滅へと向かってゆく男女の様子は美しい。

 「一緒に幸せになりたい人」と「一緒に不幸せになりたい人」ならどちらを選ぶだろうか。僕なら後者だ。