完璧な存在

 今日は思いがけず学校が休みになった。昼過ぎになってやっとベッドを抜け出した僕は、昼食を食べた後、ラジオを流して不味いインスタントコーヒーを飲みながら、沢木耕太郎の『深夜特急』を読み返していた。現代バックパッカーのバイブルとも言われるこの本を読みながら、僕は時々天井を見つめて自身の旅を思い返していた。外は朝から雨が降っていた。実のところ、今日は早朝から出かけるつもりだったのだが、夢うつつに聞こえる雨の音に、僕は予定を放棄することに決めたのだった。本を閉じて去年の日記を引っ張り出してきた。「2014年1月15日 サラエボ 雨」一年前の僕はサラエボにいて、今日と同じように雨に降り込められていた。同室のおじいさんのいびきが尋常じゃなくうるさかったとの恨み言が3行に渡って書き連ねてあった。

 ふと、テレビを付けてみるとイランのエスファハーンが映っていた。とたんに、僕の心はサラエボからエスファハーンへと移動する。僕がエスファハーンを訪れたのは11月の後半だったと思う。その頃はまだ日記を付けていなかった。日記を付け始めたのは12月5日、グルジアトビリシからだった。日本を出たのが3月25日だから、ずいぶん遅い。この点については少し後悔もしている。エスファハーンではAmir Kavirというその界隈では有名な宿に泊まった。小学校の教室より一回り小さいくらいの部屋にベッドが5つ並べられていた。同じ部屋にはもうひとり日本人がいて、彼と一緒にイマーム広場を観光し、夕食を食べた。部屋には他に、中国人が二人と、ヒッピー崩れのようなオーストリア人が一人いたと思う。オーストリア人は一日中宿に引き籠もっているようだった。

 翌朝、同じ部屋の日本人は次の町へと旅立ってゆき、僕はひとりで町を散策した。広場を歩いていると、昨晩少し話したイラン人と偶然再会した。どうしてだったか忘れてしまったけど、この人はとても流暢な英語を話した。彼は、少し時間があるのでモスクを案内しようと言った。イランのモスクは美しい。青を基調とした幾何学模様の前に立つと、つい時間が経つのも忘れてしまう。いくつかのモスクを回りながら、彼は逐一、そこがどういう場所であるかを説明してくれた。僕が何気なく見ていた物にもしっかりとした意味があったりして、その度に僕は声を上げて感心したのだった。そうこうしている内に、僕たちはとあるモスクの中庭へ辿り着く。そこで彼はイーワン(中庭に面してアーチ状に作られた空間)の壁面の一部分を指差して僕に「どうしてここが左右対称になっていないか分かるか?」と尋ねた。 タージマハルなんかを思い浮かべてもらえればいいが、モスクは基本的に左右対称に作られている。だが、彼の指差した先を見ると、その一部分だけが明確な意思を持って左右非対称に作られているようだった。僕が分からないと答えると、彼は一呼吸置いてこう言った。

 「アッラーのみが完璧であり得るのだ」

僕は、身体の奥が熱くなるのを感じた。