ありのままの姿

 足の毛を剃った。ふと思い立って脛や太ももに生えていた毛を全て剃った。足の毛を剃るのはこれが初めてではなくて、実は去年もこの時期に足の毛を剃っている。冬だったら毛を剃っていてもバレることはないのだ。

 毛を剃ることのメリットは、なんと言っても気持ちがいいことだ。元々それほど毛の濃くない僕ではあるが、それでも実感できるこの気持ちよさは、一度ハマると癖になる。風呂場で足に石けんを塗りたくり、真新しい剃刀をひと滑りさせる。するとそこには意外なほど白く、繊細そうな肌が表れる。男性の足は普段毛で守られているため、剃ってみると思いのほか綺麗であることが多いらしい。一カ所だけ肌が露出したその様子は、地滑りを起こした山を思わせる。順剃り、逆剃りを繰り返すこと20分。僕の足は見違えるように綺麗になった。触ってみるとツルツルしていて気持ちがいい。ずっと触っていても飽きることがないのだ。ズボンを履けば、布が直接肌に当たる感触が新鮮で、これもまた気持ちがいい。

 一方、毛を剃ることのデメリットは、人々に気持ち悪いと思われる可能性があることかもしれない。「すね毛を剃っている男なんてちょっと……」と考える人もまだまだたくさんいるだろう。あるいは「えっ、そんなに外見を気にしてるの?なんかキモい……」となるかもしれない。ただ、僕はひとつ言いたい。先程も述べたように、僕が足の毛を剃った理由は気持ちがいいからだ。毛という自分を守る鎧から解放された、その爽快感が気持ちよくて剃るだけなのだ。

 毛を剃って、ひとつ面白く感じたのは、湯船に足を踏み入れたときに水面の高さが分からないということだ。くるぶしがお湯に浸かっているのは分かるし、太ももがお湯に浸かっていないのも分かる。では「脛のどの辺りに水面があるのか」ということだが、これが分からない。昨年剃ったときは湯船に浸かる機会がなかったので気が付かなかったことだ。つまり、僕はこれまで、すね毛の揺らめきによって水を感じていたということになる。これは個人的には大発見だった。

 僕は、足を覆う毛によって、肌に水の触れる感覚というもの奪われてしまっていたのだ。僕がこれまでずっと水だと思っていたのは、実際には毛の揺らめきで、今回毛を剃ったことによって初めて真実を知ることができた。衝撃的だ。おそらく昔は僕も水というものを知っていたのだろう。だけど、いつの間にか、僕は毛の揺らめきを水の動きであると錯覚していた。自分でも全く分からないままに洗脳されてしまっていたのだ。案外、僕たちの周りにはそういうものがたくさんあるのかもしれない。僕たちが真実だと信じ込んでいることは、実際には何かの虚像なのかもしれない。僕は、すね毛を剃ることによって、またひとつ真理に迫ることが出来た気がした。