死んだらどうなる

 3月20日の天声人語に、あの世を信じている若者が増えていると載っていたらしいので探してみた。

 引かれているのは2013年の調査だ。20代の45%があの世を信じる一方、70歳以上は31%となっている。1958年の調査では20代が13%、70歳以上が37%だから、55年間で3割以上も増えている。あの世を信じたいという気持ちはとてもよくわかる。でも、僕はあの世を信じていない。

 僕は、この世界は認識によって成り立っていると考える。僕が見ているこの世界と、君が見ているその世界は全く別のものとして独立している。僕が見ているのは僕の世界。君が見ているのは君の世界。それぞれが、それぞれの世界の王様なんだと思う。そして、僕が死んだときはひとつの世界が消えてなくなる。紙や鉛筆、犬や猫、親兄弟、空や大地、そして過去と未来。あらゆる物質、概念が消えてなくなる。とにかく一切のものが消えてなくなって「始めから何も存在していなかった」ということすら分からないくらい、全てが消滅する。

 こんなことを真面目な顔で言うのも恥ずかしいけど、僕は僕以外の人間が本当に存在しているのかすら疑わしい。僕の見えないところで僕以外の人間が生活を営んでいるということが不思議で仕方がない。

 DQ5PS2版でオープントレイというバグ技があった。フィールドを歩いているときにPS2本体のボタンを押してCDトレイを開けると、まだ読み込まれていないフィールドが真っ黒になっていて、どこへでも行けるというものだ。あのバクのように、現実世界でも読み込まれていないフィールドは真っ黒なのかもしれない。僕の家の玄関を開けると、向こうに山が見える。「あの山の向こうの世界は今、本当に存在しているのだろうか」そう毎朝思う。

 

 話が逸れたけど、とにかく僕は死んだら全部終わりだと思っているから、あの世も来世も存在しないと思っている。

 ただ、それじゃああまりに救いがないから、存在すればいいなぁという程度に期待はしたい。